卒業式の袴スタイルの大定番とも言える矢羽根模様。流行に左右されることなく昔も今も人気の高い模様です。でも、なぜこの模様が卒業式の定番になったのでしょう?今回は矢羽根模様の意味や特徴、袴の歴史にも触れながら、その理由や背景についてご紹介します。
そもそも、矢羽根模様ってどんなもの…?
矢羽根模様の「矢羽根」とは矢の上部にあしらわれた鳥の羽根の部分を指します。ピンと来ない人は、お正月に神社や寺院で授与される破魔矢を思い出してみると分かりやすいかもしれません。上部に羽根がついていますよね?矢羽根模様は、あの部分を図案化してできた模様です。破魔矢に魔除けの意味があったり、射た矢は真っ直ぐに突き進むということから矢羽根模様は縁起柄のひとつとされています。
矢羽根模様はデザインのバリエーションが豊富!
ひとくちに矢羽根模様と言っても、そのデザインは実にバリエーションが豊富です。矢羽根だけを描いたシンプルなものでも、向きが一方向のものや互い違いのものといったパターンがあったり、矢羽根に美しい花々やその他の文様を組み合わせたゴージャスなものもあります。また、矢羽根模様を絣(かすり)という技法を使って織り出した矢絣(やがすり)と呼ばれるものもあり、こちらは矢羽根に比べて輪郭がじんわりかすれているのが特徴です。本来、矢絣は糸を織って生み出す模様のひとつなのですが、現在は織り物でなくてもその模様自体を矢絣と呼ぶようになっています。
女性が袴を身に着けたのは明治時代に入ってから。
女性が袴を身に着けるようになったのは、実は明治に入ってからのことです。それまで袴は男性のものとされており、宮中に仕える女官を除いては女性が袴を身に着けることはありませんでした。ところが女子教育の黎明期を迎えたことで、女子生徒たちにどのような服装をさせるかが議論となり、政府はこの時代としては例外的に女性生徒たちに袴の着用を認めました。なぜなら従来の着物に帯というスタイルは、椅子に座って受ける欧米式の授業では帯や裾が乱れやすく、学業に向かなかったからです。
ですが彼女たちが履いていたのは、現代の卒業式で着られているスカートタイプの女性的なものではありませんでした。縦縞の生地に腰板が付いており、ズボンのように脚が二股に分かれた男袴でした。そのためか、男物の袴を身につける女子生徒の姿に違和感を持った世間からは批判が多発。まもなく袴の着用は廃止になり、女子生徒の服装は従来の着物に帯のスタイルに逆戻りしてしまいました。
明治30年以降、袴姿は女子学生のシンボルに!
しかし数年後、女子生徒の服装に新たな動きが起こります。明治18年創立の華族女学校(学習院女子部の前身)で学監を務めた下田歌子という人が、女性のための袴づくりに乗り出したのです。歌子は女官として9年にわたる宮中勤務の経験があり、宮中の衣装を熟知していました。そこで、宮中で着られている袴をもとに、より動きやすくなるよう構造をプリーツの入ったスカート状に改めた女袴を発案したのだそうです。色は宮中の未婚女性が身につける色に基づいて海老茶色を採用し、華族女学校の制服としました。この海老茶色の女袴は女子学生の間で支持を集め、明治30年頃から急速に全国に広まっていきました。そして当時の女子学生を象徴するスタイルとなりました。
大正時代の女子学生を描いた漫画が影響!?
海老茶色の女袴を身に着けた女子学生たちは江戸期までのしっとりとした女性像を一変させました。自転車に乗ったりテニスをしたり、いきいきと活動的に過ごす彼女たちは、まさに新しい時代を生きる女性の象徴。雑誌のグラビアに描かれたり新聞小説のヒロインになったりと、社会的にも注目を集めました。
そして、そういった新しい女性像が生まれた大正時代を舞台に、17歳の女子学生を主人公に描いた漫画があります。「はいからさんが通る」という作品です。原作は1975年から1977年にかけて漫画週刊誌に連載され、それ以降もアニメ版や映画版、テレビドラマ版などが製作されてきました。この作品の主人公が身に着けている代表的な衣装が、紫色の矢羽根模様の着物に海老茶色の袴を合わせたスタイルでした。
※上のイラストは、漫画「はいからさんが通る」とは関係ありません。
矢羽根模様の袴スタイルは、大正ロマン風のレトロな可愛さが魅力♪
洋装が一般化し、着物や袴といった和装をすっかり見かけなくなった1970年代後半にヒットした「はいからさんが通る」。そんな時代だったからこそ主人公の袴姿がかえって印象的に映ったのかも知れません。今でも袴と言えばこの「はいからさんが通る」をイメージする人は多いようです。作品の影響もあってか、大正ロマンの雰囲気を感じさせる矢羽根模様の袴スタイル。現在の卒業式にも根強く支持される理由は、このどこかレトロで可愛らしいイメージにあるのかもしれませんね。